2016年8月に見た映画
『東京物語』(1953年、小津安二郎)
『麥秋』(1951年、小津安二郎)
『ロボコップ2』(1990年)
『ゴジラ』(1954年、本多猪四郎)
『シン・ゴジラ』(2006年、庵野秀明)
『白痴』(1951年、黒澤明)
『マッド・マックス』(1979年)
『マッド・マックス2』(1981年)
『グロリア』(1980年、ジョン・カサヴェテス)
『デス・プルーフ in グラインドハウス』(2007年、クエンティン・タランティーノ)(部分的に)
『ペイル・ライダー』(1985年 クリント・イーストウッド)
まとめて書くと結構大変なので、月のはじめに「●月に見た映画」ってフォーマットだけ作っておこうかと思った。
そこに見たら追加していくという。
上記は、本当に8月に見たのか結構うろ覚え…。
最近やたらとヒット中の某作品について訊かれる。「面白い」と「好き」は一致するわけではない。たった一万円のギャラ欲しさに、頑張って面白さ探すこともある。鑑賞中は楽しかったけど、べつに「好き」ではないから金払って二度は観ません。
— 中原昌也 (@masayanakahara) 2016年8月5日
「面白い」と思ったからといって「好き」とは限らないという…
『シン・ゴジラ』は面白かった。
面白かったし、良作だと思う。
でも、好きかと言われれば、
どうなんですかね。
『白痴』の東山千榮子のセリフ回しや、『デス・プルーフ』の終わり方ははっきり好きといえる。メッセンジャー・ボーイ。
この中で、一番、衝撃的だったのは、大学時代ぶりに見返した『東京物語』。
「こんなことなら 生きとるうちに もっと優しうしといてやりゃあよかったと思いますよ……」
20160722相対性理論日本武道館公演「八角形」
20160722
— いぬえつ (@etuko_inusimaru) 2016年7月22日
相対性理論 presents 『八角形』
セットリスト&MCリスト pic.twitter.com/OE1i2CHcSm
正直、あまりに衝撃的な体験であのライブについてあんまり言葉が出てこない。
初めて行く武道館ライブが相対性理論のこの「八角形」でよかったと思った。
あの空間が全宇宙で、やくしまるえつこは超越していた。
ゴールデンウィーク以降に読んだ漫画。
人生の教科書。
強いだけでは、戦に勝てない。(呂布)
策が重要。(諸葛孔明)
しかし、強さと策だけでは人はついてこない。
など、人生の教訓が学べる。
諸葛孔明がよい。
それにしても、あの美しい「桃園の誓い」からあの終わり方は悲劇だ。
ライバル曹操が戦死ではなく、病死したのも衝撃。
人は殺し合わずとも、いずれは必ず死す。
岡本倫『極黒のブリュンヒルデ』1巻~16巻。
Kindleの無料フェアで1巻から6巻まで無料で読んではまった。
もともとアニメは見てたが、原作は読んでなかった。
作者は頭がいいなと思った。
あと男性向けのサービスが多い。
第一部で寧子がせっかく良太との子ども自身の記憶を取り戻したのに、記憶をまた失ってしまった展開がきつかった。
17巻、18巻が出て完結しているが、TSUTAYAでなかなか借りられない。
古代中国の殷周革命を脚色した封神演義のコミカライズ。
全体的には三国志のほうが面白いと思ったが、最後のカタルシスがすごかった。
こういう長大な話で久しぶりにカタルシスらしいカタルシスを味わった。
小畑 健 (著), 大場 つぐみ (原著)『DEATH NOTE (デスノート) 』文庫版1巻~7巻(完)。
Lがよかった。
「僕は新世界の神になる!」とか「駄目だこいつ…早く何とかしないと…」とか、ネットスラングは、この漫画が元ネタだったとわかった。
全体的にストリーテリングの技術は高いが、あんまり心を打つものはなかった。
これはここでは語りきれないが、非常に「いい絵」のある漫画だなと。
北島マヤの絵が素晴らしい。
ハートがある。
やっぱり自分はこういうのが好きなんだなと思った。
北島マヤが覚醒する場面が好き。
47巻以降が借りられない。
紅天女編以前がよかったと思う。
やくしまるえつこ論。
以下、自分の主観的かつ勝手な感想です。
やくしまるえつこは、「唄の人」でないかと。
「『唄』ってなんや」という話だが、自分の中では、「唄」と書くと「色気があるもの」というイメージがある。
セクシーな生命感というか。
やくしまるえつこは、インタビューでも、できるだけ無駄を削ぎ落とす、無機質っぽいものを目指しているというふうな思想が読み取れる。
でも、本当に無機質なだけの音楽なら、聞くに堪えないと思う。
それで、やくしまるえつこの謎を説く曲が2曲あると思っていて、それは、ソロの「おやすみパラドックス」と相対性理論のニューアルバム『天声ジングル』の「ウルトラソーダ」だ。
歌詞を具体的に書くとJASRAC絡みで記事が削除される恐れあるので、少しだけにするが、
「おやすみパラドックス」の「祭り囃子…」の部分。
「ウルトラソーダ」の「昨日夢見た…」の部分。
この2つの部分は、わかりやすくセクシーだと思う。
なんか、そういう色気というか「唄的」なものが彼女の根底にあるのではないかと思う。すくなくともこの2曲はあからさまに色気を感じたし、「唄的」だと思った。
根的にそういう生命があるから、無機質的なものも単なる形骸で終わらず、それがカッコ良さになるのではないかと思う。
「唄うたい:やくしまるえつこ」。
これが、彼女の魅力の1つであると思っている。(すべてではない)
単純にならないと文章がかけない。
最近、自分の考えていることがある程度単純にならないと文章が書けないなと思う。
昔、自分の書いた文章を読んでいるとだらだらと文章を書いていると思う。
なぜかというと、昔は、頭のなかにあることをとりあえず全部出したいと思っていたから。
頭のいい人なら、自分の考えた複雑なことを複雑なまま文章にできるのかもしれないとも思う。
でも、自分の場合、複雑なことを複雑なままアウトプットすることに行き詰まり感を感じていて、短くシンプルなんだけど、本質的なことをさっと言っているような文章に惹かれてしまう。
それは最近、中国の古典の名言集とかを読んだことも影響していると思う。
中国の名言は、ほんの一言で本質ついているようなものが多い。
最近見た映画(2016.5~)
・黄金
・オールド・ボーイ(韓国版)
このなかでは、黄金が一番よかった。
古き良き時代のハリウッド映画とか、人間の身も蓋もないエゴをハンフリー・ボガートを通して描くんだけど、最後にはハートがあるというか。
小津安二郎はよくわからない監督だけど、見てみたという感じ。
「最後は一人ぼっちなんだ」というこの孤独感の描き方は普遍性がある。
このあたりは、映画というか、物語を見せようという志向が強い。
シティ・オブ・ゴッドとかスカーフェイスとかスコセッシのグッド・フェローズとか「ギャングが成り上がった後滅びて行く」というほとんど同じような話だけど、演出に差が出てくる。
同じ噺を違う落語家でやるようなもので。
自分は、上記のギャングもので言えば、スカーフェイスが好きだった。
ブライアン・デ・パルマのカメラワークが好き。
俯瞰から、ぐーっと寄って行ったり。
オールド・ボーイは、日本の漫画原作らしいが、映画的な演出もちゃんとついていて、カンヌでグランプリとったのも納得。
主人公のチェ・ミンシク扮するオ・デスが監禁小屋に入って、チンピラと戦う長回しのシーンとか見応えあった。
あと、最後の雪のシーンとかね。
個人的な好みを言えば、役者の演技は、いかにもヒステリックというか「迫真の演技です」という感じよりも、オールド・ボーイのチェ・ミンシクみたいな抑制が効いているけど、伝わってくるような演技のほうが好きだ。
冷たい熱帯魚も秋刀魚の味もある意味家族がテーマだけど、秋刀魚の味の笠智衆演じる父親は、娘から尊敬されているし、娘が嫁に行き遅れそうになると自分を犠牲にするくらい洗練されている。
それに対して、最近の映画である冷たい熱帯魚に出てくる父親像は、弱い父親像も強い父親像も両方出てくるけど、両方共悪いものとして描かれている。
昔の父性がより家族を抑圧していた時代のほうが、笠智衆演じる父のような洗練された父性を描けているというのはなんだろう…?
いろいろ映画をみて、ちょっといい映画はあるけど、本当にいい映画は少ないと思った。
もののけ姫とか黄金みたいな映画。