中島敦『山月記』

青空文庫でただで読める。

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ただし、難解な言葉の註釈はない。

 

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍ごすることも潔いさぎよしとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧れるが故ゆえに、敢えて刻苦して磨みがこうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。

 

 なかなか来るものがある。

 

人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄ろうしながら、事実は、才能の不足を暴露ばくろするかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭とう怠惰とが己の凡すべてだったのだ。己よりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ。

 

 この「人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短い」って、誰の文句だったかと思って調べてみたことが、この『山月記』を再読したきっかけだった。

 『山月記』は高校のときに教科書で読んでが、また年月を経てから読むと、なかなか心にくるものがある。

 成長するというのは、やっぱり「痛い」んだと思う。

 傷つくことを恐れるなということか。